総代会、宗派の承認、公告を経て取りかかっていますが、いよいよという感じです。解体業者のK組さんはまずは建物内の不要物撤去から始めれています。来週から足場を組んでユンボを投入するようです。
この建物は大正15年築で、以前は店舗として利用されていましたが、ここ10年以上借り手もなく雨漏りや老朽化が進んでいます。今年夏頃に富屋町商店街アーケードが撤去され、富屋町も新たな舗装となることを時機ととらえ、決断したものです。私事、先週にご近所様に工事のご挨拶に伺いました。
当山としては1月にガスメーターの移動を四国ガスさんにお願いし完了し、また文化財の掲示板も本堂前に移動することとしました。
一方、解体建物の関しては電気(四国電力)、ガス(四国ガス)、水道(丸亀市水道局)、電話線(NTT)、ケーブルテレビ配線(中讃ケーブルTV)、協調アンテナ(某ホテル)
へ解体に邪魔にならぬよう配線取り外し等を依頼して対処くださいました。特に上下水道に関しては市の許可を得てK工業さんに閉栓工事をしていただきます(当山負担)。
一言に建物解体撤去といっても、付帯造作工事も色々ありますね〜。
そして当山的には建物がなくなることにより、防犯対策で塀や入口の改装もしなければなりません(大汗)。今後、工事が大きく進んだ段階で様子をアップしたいと思っています。
写真は、本日の様子で、今回取り壊す建物と左側に山門が写っています。折からの積雪で今日は工事はお休みのようです。
暦の上で、昨日は節分で、今日は立春です。皆さんは、太巻き寿司の恵方巻きを食べて、豆まきをされましたでしょうか。今年の、縁起の良い方角・恵方は東北東だそうです。年の数だけ(数え年+1…来年も無事に歳を重ねられますようにという願いを込めて)、豆を食べましたか?。
今日では、スーパーやコンビニで恵方巻きの巻き寿司が売られているのが当たり前となっていますが、その現代の恵方巻きの起こりは、昭和48年と言われています。
昭和48年(1973年)、大阪海苔問屋協同組合が作製したポスターを寿司屋が共同で店頭に貼り出し、海苔を使用する太巻きを「幸運巻ずし」としてキャンペーンが展開されたんだそうです。そして、翌昭和49年(1974年)には大阪市で海苔店経営者らが海苔の需要拡大を狙って、節分のイベントとして「巻き寿司早食い競争」を始め、これがマスコミに取り上げられて、以来、徐々に知名度が上がっていきました。
最初は大阪発の販売促進イベントだったのが、海苔業界、寿司業界はもとより、スーパーやコンビニの販売戦略とPRで、現代における「節分の恵方巻き」の文化・風習となり、全国の人々にすっかり定着しました。とにかく日本人は縁起やゲンを担ぐのが好きです。
恵方巻きが巻き寿司なのは「福を巻き込む」からです。丸ごと1本食べるのは、ご縁を切らないようにという意味があります。また、無言で丸かじりするのは、一説には話しながら食べる事は恵方の歳徳神(さいとくしん)様に対して失礼だからと考えられています。後からの理由付けかもしれませんが。
さて、お話を戻します。今日は立春でして、冬至(とうじ)と春分の間の、例年2月4日頃に当たります。
立春は冬と春の分かれる節目の日である「節分」の翌日で、旧暦では「寒さがあけて春に入る日」いわば春の初日です。
つまり、旧暦では、「一年の始まりは立春から」ということで、立春がお正月です。
旧暦を新暦に当てはめているものですから、現代の新暦のお正月でも、年賀状に「初春のお喜びを申し上げます」とか「迎春」と書くわけですね。
節分とは本来、季節の移り変わる時の意味で、もともとは立春・立夏・立秋・立冬の前日を指していました。ですが特に立春が1年の初めと考えられることから次第に、「節分」といえば春の節分を指すものとなりました。
今回の節分は「立春の前日」のことです。立春が正月なのに対して、節分は大晦日の役割を持ち、その一年間の区切りとして、厄払いのために豆まきを行います。
そもそも節分の豆まきは、平安時代に宮中で行われていた「追儺(ついな)の儀式」に由来します。追儺の儀式とは悪霊や邪気祓いの行事で、桃の木で作った弓と葦(あし)の矢で、都の四門から鬼を追い払い、1年の厄や鬼を祓って新年を迎える行事として大晦日(12月末日)の夜に宮中で行われていました。中国では、桃の木は仙木仙果と呼ばれ、邪気を払い不老長寿を与える木と考えられていました。例えば「桃源郷」とか言うでしょう。桃の木で葦の矢を射ることは悪鬼除けのおまじないというわけです。
また、中国から暦が伝わると、立春が1年の最初の日ですから、その前日である節分は1年の最後の日である大晦日と同じ意味を持ちます。そのため、1年の厄を祓う意味を込め、いつしか追儺の儀式は節分と融合し、二十四節気上の大晦日である立春の前日(=節分)に行われるようになり、豆まきの儀式自体を「節分」と呼ぶようになりました。
節分では、「鬼は外!福は内!」と言いながら豆をまきます。その年の厄年の人が厄払いのためにまくとか、家長がまくという地方もあります。真冬の寒い時期でもあり、厄災や悪いモノを鬼にたとえて、邪気を払い、病気が入ってこないように、またお家に良いことがありますように、幸せが訪れますようにと、願いを込めて行う厄除け・招福の伝統行事です。
古来、鬼とは、姿の見えない災いなどを総合的に指す言葉でした。しかし、中国から陰陽五行説の考え方が取り入れられて、鬼は「毛むくじゃらで身のたけが高く、赤や青色の皮膚をしており、筋肉質で丑寅(うしとら)の方角から来る」といったふうにに変化しました。丑寅の方角は東北でして、良くない方角として「鬼門」といいます。鬼の門と書きます。
桃太郎の鬼退治のお話のような鬼ですね。それではみなさん、この桃太郎の鬼退治の鬼を頭の中でイメージして下さい。
「鬼というのはウシの角をつけて、トラ柄のパンツをはいてますよね〜。ですから艮の方角から入ってくるというんですよ。だから東北の方角には鬼がいるというんです。」
トラ柄のパンツですが、ここから"トラ"ンクスというわけではありません(笑)。
で、桃太郎のお話ですが、桃太郎は吉備団子を与えて、3匹の動物たちを連れて鬼退治に行きます。みなさん、その3匹の動物は何ですか?」
イヌとサルとキジですね。
実はこの3匹の動物は東北の反対側の方角の生き物なんですよ。子丑寅卯辰巳午未、申・酉・戌・亥。申がサル、酉がトリ=キジ、戌がイヌです。
東北に対する南西の方角の動物たちを連れて、東北の鬼門封じに行きましょうというのが、桃太郎のお話の元々の始まりだったそうです。それくらい昔は方角というものに気をつかったんですね。
ここで一つ鬼門のこと、いや疑問が解決しましたね(笑・ダジャレ)
余談はさておきまして、どうして豆を用いるかといいますと、「まめ」という言葉自体ににゲン担ぎや願いが込められています。
どういうことかといいますと、まめのマは、悪魔の魔。まめのメは、鬼の目のことで、また、滅するのメです。
豆まきには悪魔のような鬼の目すなわち「魔目(まめ)」にめがけて豆を投げれば、「魔滅(まめ)」すなわち「魔が滅する」という意味があるのです。
豆は鬼を払う道具でありながら、鬼そのものととらえられていたようです。そのため、節分の豆まきの際は鬼である豆を家の外に投げながら「鬼は外」と唱えます。
豆まきの他に、鬼が嫌う柊(ひいらぎ)の枝に鰯(いわし)の頭を刺したものを戸口に立てておいたり、炒った大豆を年の数だけ食べるなどの習慣が現代も続いています。豆を煎って鬼を火あぶりにして食べることで鬼に打ち勝つということを表しています。
豆まきで鬼が外へ行ったなら、以後、鬼を入れたくはない。今度は福が来てほしい、福を呼び寄せたいですから、「鬼は外、福は内」と言うようになりました。
以上、節分と立春についてお話をさせていただきました。
私たちにとって何をするのも身体が資本で健康が一番です。まだまだ冬本番、寒い日が続きますので、暖かくしてお過ごし下さい。
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